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2011年05月20日

東日本大震災④ 野菜サポーターになりました。

東日本大震災④ 野菜サポーターになりましたicon01

 動かない勇気といえども、今出来ることはやっぱり節電と募金かなと思いました。
 個人的に送金したのはkurumiさんに教えてもらった神戸にある被災地NGO恊同センターの「野菜サポーター」ですface01
あとは街頭や店頭など。お財布に余裕があるときに少しずつ・・・。

 この野菜サポーターは今年1月に宮崎県でおこった新燃岳の噴火による灰の被害にあった野菜を今回被災された東北へ届け炊き出しなどに使用するというものです!
灰をかぶった野菜は洗えば食べられるものなのですが、手間や風評被害で売れないという農家さんの野菜を買って、それを東北の被災地の炊き出しに使って両方を支援しようicon01という活動です!


 この新燃岳噴火災害に対する支援活動は、今回の地震で始めたのではありません。
地震の前からしっかり支援をしていて、今回の震災があって被災地への炊き出し活動へと繋がったようです。
口や頭だけではなく、騒がず地道に宮崎県農家のために行動に移していたことがなんだかカッコよく、すごいなと素直に思いました。
私が知らないだけなんだろうなぁ

 ニュースやマスコミで取り上げられるのはほんのひと時で、話題に上がって大騒ぎになるけど、のど元過ぎれば・・・ではないけれど、新しい情報に押し流されて、どんどん過去になっていく。
でも、この宮崎の新燃岳もそうだし、口蹄疫も、鳥インフルエンザの被害にあった農家さんは今も苦労されて戦っているのですよね。

最近、新燃岳の方でも避難勧告が出たりもしていましたね(解除されましたが)

忘れてはいけません。本当に。


もし、興味のある方いましたら「野菜サポーター」で検索してみてください!
現地レポートも読むことができます。



領収書つきのハガキが届きました!
こちらこそ、ありがとうございます!応援していますicon01
  
Posted by thanks milk at 22:24東日本大震災

2011年05月19日

やっぱり…。

やっぱり…。


恐れていたことがー。

と、いうよりやっぱりかぁという気持ち。
  
Posted by thanks milk at 08:40東日本大震災

2011年05月18日

東日本大震災③  動かない勇気。待つ勇気。

東日本大震災③ 動かない勇気。待つ勇気。

書きだめ第3弾。


 私はやっぱり性格上、何かしたい!とか、何かしなければ!と思ってしまうと直ぐ動きたくなるタイプです。
今回の地震で多くの人が思ったと思う

「私にできる事は何か。」

という気持ち。
大変な思いをされた人たちのために何かやりたい!出来る!と考えたことはたくさんありました。
でも、
今回の震災は本当に大きく、自分も何かしたい!してあげたい!という気持ちを消化することが決して良いこととは限らず、自分の気持ち最優先で動くことは出来ませんでした。

 色々なボランティア募集の情報を探してみたけれど、どの条件も
「自己完結できる人」
つまり、テントや寝袋、自分の食事など現地で迷惑かけずにボランティアが行える人。ということです。

私にはその術がありませんでした。

 どんな所でも眠れるし、好き嫌いもないし、体は強いし、体力はある。汚れたものも、力仕事も苦にならず活動できる。ガレキの片付け、救援物資の仕分け、炊き出し、話を聞いたり、何か気分転換になるような事とか出来るのに・・・

 でも、いくら発想があっても、経験がない私はやっぱり自己完結できる自信がなく、逆に迷惑をかけてしまうんじゃないかという不安の方が大きかったのです。

 私の思いつきのようなレベルじゃ力になれないと実感しました。
気持ちや時間があっても、それが行動に移せないジレンマ。想いを発揮できない苦しさ。

でも、そこで救われた言葉が、

『動かない勇気。待つ勇気。』

 いま活躍している人はこの地震の前から志があって、経験も技術もそれに関する繋がりも持っていて
私が背伸びして、背伸びして頑張るよりも、ちゃんと背伸びせずとも出来る人がたくさんいるんだということ。

逆に、その人たちの出来ないことが自分の出来ることだったとしたら、自分のやるべきことはそこなんじゃないかと気づき始めました。

 これから新しいことをしようと思うことがいいのかな?とやっぱり1度は思いました。
でも、初心に帰って、このthanks milk 号の活動がぐるり、ぐるりとめぐりめぐって何かの力になればいいなと思っています。いや、やっぱり、私は何かしたいという気持ちは納まっていないので、このthanks milk 号で何かしよう。(何かばかりで漠然としすぎですねicon11まだ、車やメニューさえ決まっていないものでicon05

 え・・・と、
そう思うことで、またやる気になって頑張ろうと思えるようになりました!
自然の力はすごい。恵みにも恐怖にもなる。
でも、支えられ、力になるのはやっぱり人なのかな・・と思いますface01

5月上旬 記  
Posted by thanks milk at 12:25東日本大震災

2011年05月03日

東日本大震災②  農家が直面した被害

東日本大震災②  農家が直面した被害。

私は当日運命なのか偶然なのか、栃木県那須塩原市にある酪農家を営んでいる大学の先輩の家を訪ねていました。

畜産に関わっている方ならばみなさんが悩み、苦しんだと思われる現実。

大きくは 電気、水、ガソリン、軽油などの燃料、そして飼料(エサ)。


 地震直後、先輩のうちは奇跡的に停電も断水もありませんでした。
本当に良かった。本当に。

 乳牛は毎日2回決まった時間に搾乳(さくにゅう・乳を搾ること)を行わないと病気になってしまいます。
この搾乳の機械を動かすのが電気。

 牛乳は傷みやすいので、搾乳後は毎回洗浄&殺菌を行います。搾られた牛乳はすぐに5℃以下に冷やされます。
この冷やす機械も電気。

つまり、電気や水がないと牛たちが病気になり、せっかく搾った牛乳は捨てざるをえなくなるのです。

 搾乳できても、今度牛乳を出荷する工場の方が被害にあい、先輩の家でも牛乳を廃棄しました。
少しでも無駄にしないようにと、近所の方を呼んだり、プリンや即席のチーズを作ったりもしました。
先輩の家でお世話になって実際力になれたのなんてこんなことだけかも…cow_01icon10

 でも、その後の計画停電には本当に牛も酪農家も苦しんだと聞きます。
毎日違う時間帯の停電に搾乳時間も合わせなくてはならず、牛にも人にも大きな負担となったようです。
先輩の言った

「これじゃ本当に牛がダメになっちゃうよ…」

という言葉が心情がわかるだけに辛かった(;_;)


 また、牛はもちろん生き物。
水を飲まないと死んでしまします。
乳牛は1頭1日30~120リットルの水が必要と言われています。
バケツで1、2杯というレベルではないのです。

 先輩の家は電気、水とも奇跡的に無事でしたが、それだけではまったく喜べません。
栄養のたっぷりある牛乳を生産するには栄養バランスを考えた飼料(えさ)を食べなければいけません。
その飼料の取引先が福島県にあるというのです。
福島から那須までの道が寸断され、飼料工場が被災し、飼料が入ってこなくなるという不安がよぎりました。

 生き物ですから、今日たくさん食べたから明日はエサをやらなくても平気。とはなりません。
今あるエサがいつまでもつのか。いつ新しいエサが入ってくるのか…。

現在はエサの種類が変わったという話は聞きましたが、食べるものがないということはないそうです。
良かった。



 最近になって、原発の避難のことで、置いてきた家畜の問題や野良化した動物たちのニュースがたびたび流れますが、もちろん人命最優先なのはわかっています。
そして、牛乳や肉の出荷制限などの問題が先なことも、多くの人の生活に影響することだから仕方がないこともわかっています。

 でも、この畜産家の問題は地震のあった直後、原発で避難が始まった直後、その日から今もずっと続いていることです。
家畜を見捨てられないと避難区域に残る人もいます。
殺処分を決めた人もいます。
たとえ受け入れ先があったとしても、受け入れ先も職業として家畜を飼育しているわけですから、病気や受け入れることで自分の牧場に影響が出ることは避けたいだろうし、この1ヵ月半でかなりの衰弱が予想されるし、牛体の放射能のことも気になります。

 犬や猫とは違い、牛は大きいし、1頭や2頭ではありません。そう簡単に飼育環境を整えることは出来ない。受け入れ先にも迷惑がかかるかもしれない。


自分がもしその立場だったらどうするだろう…。


 考えるだけで胸が苦しいですね。
補償金で解決できる事では決してありません。


 酪農家の廃業。畜産家の減少。
田んぼの塩害、放射線物質による土壌の被害。

すぐには解決できそうにないこの問題。

そして、高齢化が進んでいる農家。


 農業は長年の経験と技術が大事です。
教科書通りには決して出来ません。


この空白の期間、技術が継承されないことがとても心配。



 でもでも、農家の人はすごいんです!
私の心配なんて心と頭の中だけで、逆にパワーをもらった話もあります。

 詳しいことはわかりませんが、塩害を受けた田んぼで塩分を除去することだけではなく、塩害に強い米がどれかという試験が進められているそうです!
待っているだけではなく、現状を受け入れそこでまた立ち上がろうという気持ちがすごい!と私もパワーをもらいましたrice_01icon12


わたしも頑張らなくては!


牛は誰か必ずカメラ目線


先輩のお気に入りのタイプの子牛ちゃんface02
  
Posted by thanks milk at 00:47東日本大震災

2011年05月02日

東日本大震災について

東日本大震災について。

亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様およびそのご家族の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。



 今回の地震のことをずっと何かに記録しておきたかった。
本当はこのブログを始める前からずっと考えてきたことだけど、順番にあせらずブログをつくりあげたくて、待っていました。

ちょっと忙しくて準備はしていたものの、こんなに遅くなってしまいましたが・・・。face07


 2011年3月11日、地震の当日。
私は偶然にも栃木県那須塩原市にある大学の先輩を訪ねていました。

しかも、その先輩は酪農家。
先輩も牛や酪農が大好きで、なおかつ、とても手先が器用!センスも良く、手作り雑貨もかなりの腕前!私の尊敬する1人です。先輩に会うのは2年ぶり☆
前回あった時、赤ちゃんだった子供が1人で歩いて、会話も成り立つかわいい姫さまになっていましたface02子供の成長とは早いものです。


そして、那須について2時間。
お昼を食べ、次のお店に向かっていた時に大きな地震が起こりました。
車に乗っていたため、車体はうねるように大きく揺れて、外を見たら建物が横にしなり、止まっている観光バスは上下にはねていました。


「地震・・・だよね?」

 と、ちょっと何が起きたのかわからない状態。とりあえず家に戻ろうということになりました。

 家に帰ったら、先輩のおうちは倒れてはいなかったものの、家の中は食器が落ちて割れたり、棚が倒れたりと大変なことになっていました。
私は車の中にいたので、自分が揺れている(跳ねている?)だけでしたが、家など建物の中にいたら、ガラスが割れる音、家がきしむ音、棚が倒れる瞬間…想像しただけでも恐ろしいです。

このときあたりから、少しづつすごい地震だったんだ・・・と感じ始めました。

 先輩たちが片付けている間、私は先輩の子供の相手をし、遊んでいたわけですが、テレビをつけて見ていると、あの津波の映像が映りました。
車や家を押し流し、畑や田んぼ、空港を津波が襲っているあの映像です。

信じられない映像。
一生忘れられない。

 
 そして、私がたまたま当日酪農家である先輩の家にいたことで、身にしみて体験したこの地震の影響。
生き物を飼っている酪農、畜産が直面する被害を目の当たりにするわけですが…
今回はここまで。


 結局、電車が動かず、予定していた日よりも1日延期して先輩の家にお世話になり、電車動いている駅まで車で送ってもらい無事横浜に帰ってこれました。

 駅に着いたとき、駅や店は電気がこうこうとついていて、節電もあまりされておらず、普通にショッピングをしている光景が広がっており、なんだか自分の気持ちとのギャップにショックを受けたことを覚えています。

この時は直後すぎて、まだこの地震の被害や重大さがピンときていなかったのだと思います。



地震の時は牛たちも牛舎を走りまわっていました。
これは地震の翌日。少しは落ち着いたかな?
  
Posted by thanks milk at 19:13東日本大震災